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雑記ブログになります。レビューや批評などを掲載。

私が椎名林檎を嫌いな理由

(注:誹謗中傷ネタです。好きな人は見ないでください)

 最初に

私はあまりテレビも見ないうえ、最近の邦楽もほとんど聞かないので、9割以上の芸能人は知らないか、興味関心がないのだが、昔から彼女のことは大嫌いである。色々と嫌いな理由はあるのだが、今日はなぜ彼女が嫌いか、その理由を掘り下げて考えてみようと思う。

また記事を書くにあたって、彼女のことをもっと調べるべきだと思ったのだが、情報を見ているだけで辟易してしまうので、主に過去の情報や、断片的な情報しか知らないことを、最初にお詫びしたいと思う。

 

自分が主役——誰もリスペクトしていない

イギリスに、レディオヘッドという、UKロックの重鎮とも呼べるアーティストがいる。そのCDに自分のサインか、落書きをしているのを見たときに、私は確信した。「この人は、レディオヘッドをおちょくっている」 

100歩ゆずって、もしこのCDが、リンキンパークとかのCDだったら、まだ理由はわかるし、許せるだろう。というのも、主にアメリカのロックファンは、みなリンキンパークをバカにしているからだ。 

しかしレディオヘッドは、ロックリスナーにも、(最近の若いリスナーに関してはどうか知らないし、日本のリスナーは例外としても)リスペクトされているし、ロックの歴史を塗り替えたと言っても、過言ではない(と私は個人的に思っている)アーティストだ。

 もし私がアーティストだったら、きっとレディオヘッドのCDは神棚にでも飾っておくだろう。だからハッキリ言って、これはレディオヘッドに対する冒とくだと言わせてもらう。

日本ではレディオヘッドの認知度が低く、この出来事が炎上したというようなことは聞いたことがないが、私自身は非常に憤りを感じるテーマである。

 結局、この人は、心の中では、レディオヘッドよりも、ニルヴァーナよりも、ピストルズよりも、「自分自身が一番偉い」「自分こそが世界の中心」とでも思っているのではないだろうか。

 

軸が他人――世間に媚びないと生きていけない

私の昔付き合っていた人が、「彼女は外連味(けれんみ 注:ハッタリやごまかしの意)のある人間だと思う」と言っていたのだが、私もそれには同感である。

 昔、彼女が、イチロー元選手に、「あなたは私のヒーロー」とか寒いことを言って、媚びまくっていた記憶がある。彼女は権威には媚びて、どうでもいい人は蹴落とす、典型的な権威主義だと思う。

 また他人からの評判や、世間体を気にしすぎるところがあると思う。自分軸でなく、他人軸で生きているから、どうも意見や態度が定まらない印象を受ける。

 夏目漱石の言葉に、次のような言葉がある。そしておそらく、彼女の心境もこのようなものだろうと想像する。 

「今まではまったく他人本位で、根のないうきぐさのようにそこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったとようやく気付いたのです。(中略)けれどもいくら他人に誉められたって、もともと人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀の羽根を身に着けて威張っているようなものですから」

 

彼女の「勝ち戦」という歌の歌詞に、「No one knows how I live my life Cause I don’t belong to anywhere(誰も知らない 私がどんな生き方をしているか だって何処にも属してないから)」という一節がある。おそらく彼女本人のことではなく、他者の批判だと思われるが、まるで「どこか(世間)に属していないといけない」ような言い草だ。

 しかしはたして「どこか(世間)に属している」ことがそれほど重要なことなのだろうかと思うが、彼女の中では、おそらく重要事項なのだろう。

 だが逆説的に言えば、世間に属していないと、少なくとも属している実感がないと、たった一人では何もできないということではないだろうか? きっと世間から見放されてしまったら、世間という後ろ盾がなくなってしまったら、おそらく彼女は何もできないし怖いのだろう。

だから世間に媚びへつらう、先のうきぐさのような地に足のつかない生き方をしているのだろう。基本的に私は人に媚びるのは嫌なので、彼女のような生き方は絶対にできないし、また最もしたくない生き方だと思っているが。

 またコロナの中でライブを強行開催しようとするなど、他人に媚びるわりには、自身のファンや周りの人間を全然大切にしていないように思う。

 

人を貶めて、相対的に自分の価値を上げようとする

この人はとても負けず嫌いなのだと思う。他人をリスペクトしたり、大切にはしたりしないかわりに、人を蹴落とすことには躍起になっている

 昔の話だが、「26歳くらいのとき、死んでほしいと思う人がいた。(中略)でも最近勝ったと思った」とか言う記事を見かけたが、そんなに人に勝つことが大事なのだろうか。また何を根拠に勝ったとか、負けたとかを判断しているのだろう。

 人の価値というものは、主観的なもので、絶対的なものではないし、「勝ち/負け」というのも、単なる主観ではないのか。私自身は誰かより誰かのほうが勝っているとか、負けているとか、そういうことにこだわるのは、バカバカしいと思う。

 ポーカーに例えると、自分の持っている5枚のカードは、他の人のものとは違うものである。5枚のカードの中で、たとえば自分の3と相手の10を比べれば、相手の勝ちだし、自分のクイーンと相手の10を比べれば、自分の勝ちである。いったい、何を基準に、「勝った/負けた」などと言っているのだろうか

 先ほどの話に戻るが、彼女の軸は「他人軸」なので、おそらく自分の価値も相対的、流動的なものなのだろう。だから他人に勝つことで、自分の価値が相対的に高まったと思う瞬間が、彼女にとっての喜びなのだと思う。

 ただし軸が他人にあるせいで、いつも他人の脅威に脅かされているように見える。それに他人に勝つことはできても、自分自身に勝つのは難しいのである。

 

名前の付け方が悪趣味

これも古い話で恐縮だが、東京事変とか、愛車がヒトラーとか、ことごとく名前の付け方が悪趣味である。センスの前に、人道主義的な問題だろう。

 彼女はどちらかというと、右翼的な考えの持ち主のようなので、その思想を反映してのことなのだと思うが、「東京事変」は、満州事変を彷彿とさせるものであることは明らかだし、「ヒトラー」はナチスであるのは明白だ。たとえ日本人は何とも思わなくとも、ほかの国の人から見たら、絶対に印象がよくないと思う。

結局のところ、こういう人がいるせいで、日本が諸外国から浮くんじゃないのか。同じ日本人として、はなはだ迷惑である。

 そして彼女のような人がオリンピックの親善大使に選んばれた理由にも、疑問を感じずにいられない。彼女の自己中心的、自分ファーストな行動理念は、オリンピックのコンセプトのひとつである、「世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とする」という内容とは相いれないものである。

 彼女を起用したことにより、「オリンピックという機会を利用して、日本の存在感を世界にアピールしたい」だけ、「日本はほかの国と協調する気はなく、ただ自国が目立てばそれでよい」、そんなふうに他国から思われてしまうのがオチではないだろうか。

 

まとめ

音楽的な才能については、ここではどうこういう気はないが、彼女は人としては、もう終わっていると思う。 

「グロースマインドセット「フィックスドマインドセットという概念があるのだが、彼女の場合は、おそらく後者だと思う。ちなみにここではそれらを詳しく説明するのは省くが、端的に言うと、「グロースマインドセット」とは、成長余地のあるマインドセットのことで、「フィックスドマインドセット」とは、成長余地のないマインドセットである。 

「グロースマインドセット」の持ち主は、困難を一人で乗り越えていく気概を持っているが、「フィックスドマインドセット」の持ち主は、考え方が後ろ向きで、他者の成功をねたむ傾向があるそうだ。

 たしかに彼女は才能や素質はほかの人より恵まれているから、それでこれまでは何とかやってこれたのだろうと想像するが、音楽的な才能は別として、このままでは、もう人としての伸びしろはないと断言する。

 音楽の才能、世間での評価、社会的な地位——客観的に見れば、何でも持っていて、恵まれているはずの人生だが、なぜ本人自身はあんなに不幸そうなのか。そしていくら他人を蹴落としたとしても、自分自身の内面が変化、成長しなければ、今の不幸な現状はけっしてブレイクスルーできないだろう。

 

Written by ユカ@コーヒー