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ジョージ・オーウェル「1984」を読んだ

ジョージ・オーウェル「1984」

ジョージ・オーウェル1984

 

概要(作品について)

トランプ大統領就任後、再び世界中で評価が高まっているという、ディストピア小説ジョージ・オーウェル1984を読んでみた。

この小説は、村上春樹の「1Q84」が刊行されたのにちなんでか、2009年に新訳版が出ている。(新訳というだけあって、比較的読みやすいと思う)。

「1084」で描かれている独裁主義体制の世界を表す表現として、「オーウェリアン(Orwellian)」という言葉があるほど、欧米諸国ではなじみのある作品であり、20世紀の名作の一つとされている。

またレディオヘッド「2+2=5」という曲に代表されるように、現代の芸術や文学などに深い影響を与えている作品でもある。

 


Radiohead - 2 + 2 = 5

 

あらすじ

ときは1984年。主人公のウィンストン・スミスは、オセアニア(世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアに三分割されている)の都市、ロンドンにある、真理省で歴史や既成刊行物の改ざんの仕事に携わっていた。

1984年のロンドンは、ビッグ・ブラザーという髭面の党首(旧ソビエト連邦の政治家、スターリンを思い起こさせる)を中心に据え、「イングソックイングランド社会主義の略称)」というイデオロギーを元に、統治された全体主義国家であり、オセアニアでは、常にユーラシアやイースタシアとの交戦が繰り広げられている。

またそのスローガンは次のようなものである。

  • 戦争は平和なり
  • 自由は隷従なり
  • 無知は力なり 

オセアニア公用語は、犯罪の抑制と自由な思考を制御する目的で考案された、「ニュースピーク」という、英語(オールドスピーク)を元とした、新しい言語にとって代わられようとしていた。

ウィンストンは、絶対忠誠を誓わされる党の在り方、社会の在り方に疑問を感じ、日記(思想犯罪として、禁止されている)を付け始める。

ある日、ウィンストンは、ある女性に自分の跡を付けられていると感じ、身の危険を感じるようになる。しかしその女性(ジュリア)は、ウィンストンに好意を持って接近してきたことが後に発覚するのだった。

やがてウィンストンとジュリアは、人目につかない場所で、逢瀬を重ねるようになる。ウィンストンが見つけた、とある古物商の二階の部屋を借り、密会を繰り広げる二人。

ウィンストンは、党の高級官僚であるオブライエンから、「ブラザー同盟」なる党に反目する地下組織の存在をほのめかされ、ジュリアともどもその一員になることを承諾する。

しかしそれはオブライエンの罠だった。オブライエンから受け取った、エマニュエル・ゴールドスタイン(党への反逆者。二分間憎悪で、憎悪を向けられる対象となっている)が書いた禁書「寡頭制集産主義の理論と実践」を、ジュリアとウィンストンが二人で読んでいる最中、二人は部屋の提供者で古物商のチャリントンによって、密告され、連行されてしまう。

愛情省(犯罪者を拘束し、拷問、尋問、処刑を行う省。ニュースピークの諸原理より、本来の役割とは、逆の意味の名前が付けられている)で、拷問にかけられ、尋問されるウィンストン。そこでは、辱めを受けて、犯罪者を徹底的に追い詰めるとともに、党への忠誠を誓うように再教育される。

ウィンストンに対してその役目を担うのが、オブライエンだった。オブライエンは、ウィンストンの主張をとことん捻じ曲げ、凌辱し、ウィンストンの持っている、「人間らしさ」を根本から破壊しようとするのだった。

ウィンストンは最後の最後までジュリアをかばっていたが、「101号室」で、大嫌いなネズミを前にすると、最終的にジュリアを出し抜く言葉を口にしてしまう。それこそがオブライエンたちの真の目的であったようで、ウィンストンは解放される。

その後、ウィンウィンはジュリアに再会するが、彼女もウィンストン同様、愛情省での尋問において、ウィンストンを裏切っていたと告白する。

オブライエンの再教育により、党への忠誠(二重思考。2+2=5であると党が言ったら、それが間違いだとしてもそう信じ込むなど)を誓わせられたウィンストンは、ビッグ・ブラザーへの愛を口にしながら、処刑される手前のシーンで物語は幕を閉じる。

 

総評

現代社会にも通じる暗黒社会

1984」に描かれているのは、想像するだけでゾッとするような暗黒社会だ。しかしその世界観は決して対岸の火事などではなく、現代社会との共通点や今の世界情勢を彷彿とさせる事象も多々見受けられる。

たとえばテレスクリーンとマイクがそこかしこに設置され、始終行動を監視されているさま、党にとっての危険な思想を持つと見なされているものが、次々と処刑されていくさまは、現代の中国共産党一党独裁社会を思い起こさせる。

またユーラシアやイースタシアという、仮想敵を想定し、オセアニアがたゆまぬ戦線を繰り広げるさまは、9.11以降、中東諸国を敵に仕立てあげ、主には軍需産業の維持目的のための戦争を繰り広げるアメリカに重なる。

そして過去の史実やデータや刊行物が、ビッグ・ブラザーの預言や、公言された最新の事実と合致するように改ざんされるという事象は、紛失したと言って破棄されたり、都合のいいように書き換えられたりする、昨今の公文書の偽造問題そのもののようだ。

このように「1984」が書かれた当時よりも未来である現代社会でも、作中の予言が近からず遠からず具現化しており、その先見性や普遍性が、この作品を名作たらしめ、現代でも広く読まれている理由であると思う。

 

ただのオーソドックスな恋愛物語ではない

またこの小説は、ウィンストンとジュリアの関係性を描いた、オーソドックスな恋愛物語としての側面も持っている。しかしそれがただのお涙頂戴の「悲恋物語になっていない点も、評価に値する点だと思う。

二人は愛し合っている(ように見える)のだが、決して結ばれないことが最初から分かっているし、これがつかの間の快楽だということも心得ている。最後に二人で心中するとか、逃げ出すとかいうハッピーエンドではなく、ウィンストンとジュリアが、お互いのことを裏切ってしまうのだが、その展開が作品にリアリティを与えているように思う。

作者が描きたかったのは、あくまで「恋愛」ではなく、「人間らしさ」とは何かなのであると思う。ウィンストンの言動を通じて、「愛」とか、「良心」とか、「高潔さ」だけでなく、「裏切り」、「欺瞞」、「自己憐憫」、「弱さ」と言った、人間の負の側面も描かれており、それが現代人にも通じる「リアル」や「普遍性」を獲得していると思う。

 

「希望は、プロール(庶民)の中にある」

最後にウィンストンが尋問中にオブライエンや党への最後の反発心から発した言葉が印象に残った。

「恐怖と憎悪と残酷を基礎にして文面を築くなんて不可能です。長続きするはずがない」

「宇宙には何か—―私には分かりませんが、精神とか原理とかいったようなもので――あなた方が絶対に打ち勝つことの出来ないものがあるんです。(その原理とは)『人間』の精神です」

ビッグ・ブラザーの支配下ほどではないとしても、先に挙げたように、今の世の中も負けず劣らず狂っていると思う。しかしオーウェルは、その言葉によって、どれだけ社会が狂って間違った方向に向かっているとしても、元来人間には、それを正す力が備わっているという希望を託したかったのだと思う。

最後に処刑されてしまうという、バッドエンドにつながっている救いようのない物語の中で、その言葉が唯一の希望であり、救いであるように思えた。

 

Written by ユカ@コーヒー