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虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか——少年の心の闇に思いを馳せる

虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか

虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか

石井光太著「虐待された少年は、なぜ事件を起こしたのか?」

 この本を読んだきっかけ

私自身もいち虐待の被害者であり、過去に人から「将来の犯罪者」などと罵られたこともある。そのため、自分にも共感できる要素、理解できる要素があるかもしれないと思ったのが、本書を手に取ったきっかけである。

この本では、少年院での更生プログラムや、施設の実態の紹介、虐待から犯罪にいたった少年たちの実例、性犯罪に手を染めたり、ドラッグに溺れていく少年たちの様子や心理状態などを解説し、はたまた被害者遺族の奮闘、そして最後に「非行少年は生まれ変われるのか」という章で幕を閉じる。

 

少年が非行、犯罪に走るきっかけとは

 少年たちが非行や犯罪に走るのは、虐待、いじめ、発達障がい、知的障がいなど、いくつものファクターが重なってのことのようだ。

その中でも、たいていは父親が暴力をふるったり、ヤクザや暴力団などだったりする家庭の出身者が多かった。私自身も、父親の言葉による虐待を受けながら育ち、それだけでもずいぶんと心に痛手を負ったが、本書に出てくる少年少女たちは、それ以上のありえない凄惨な暴力(タバコの火を身体に押し付けられる、ドラッグをやらされて犯される、貴金属でめったうちにされるなど)を受けて育っているとのことである。

その結果家にいられなくなって近所を徘徊し軽犯罪を犯す、不良グループの一員となって、売春やドラッグの売買に手を染める、女子と対等な関係を築けず、また人間関係がうまくいかないストレスから、下着泥棒やレイプなどの犯罪に手を染めるなどの境遇を辿った結果、少年院に送られるということらしい。

本書を読んでいるうち、私も本書に出てくる少年たちと、同じ経過をたどっていてもおかしくなかったと思えてきた。

 

本の内容が他人事と思えない

私たちの世代は、ちょうど援助交際が流行っていた世代で、私も当時それに近いことをしていた。18で家を出たあと、大学も行く気が起きずに行かなくなり、まともな仕事をできる精神状態ではなく、様々な職を転々としていた。その際に知り合った何人かの男に、レイプまがいのことをされたり、マリファナなどを吸わされたりしたこともあった。

中でもマリファナを自宅で栽培している男に、同居の話を持ち掛けられたことがあった。男は私の家の荷造りを手伝いに来たが、私の部屋が汚すぎたのが理由で、そのまま帰ってしまった。頭にきた私は警察に男の情報を垂れ流した。(そいつがその後どうなったかは知らない。)

しかし今になってよく考えてみると、もしそいつと同棲でもしていたら、私はマリファナ漬けにさせられて、廃人になっていただろうと思う。実際、ドラッグの後遺症(と思われる)で精神疾患にかかり、30過ぎまで、恋愛やセックス依存症のような状態が続いた。

 

ドラッグの後遺症

 私が何とか依存症や精神疾患から立ち直れたのは、たぶん、2つか3つくらいのカウンセリングを並行して受けまくったためだと思う。その中でもFAPというものがあり、そのカウンセラーも元アルコール依存症で、実際にFAPを受けたり、依存症の会に出たりして立ち直ったらしい。

FAPは高額なうえ、ちょっと手法が怪しいので、万人には勧められるものではない。しかしもしそれを受けていなかったら、私は一生依存症で、普通に働ける状態、普通の生活ができる状態には戻らず、半ば廃人のままだったと思う。そもそも依存症は、脳の障がいのようなもの(だと個人的には思っている)なので、本人の意識でどうにかするには限界があるのだ。

 この本にもチラッと出てきたが、依存症は「否認の病」と言われている。一度依存症になったら立ち直るのは本当に難しく、相当の覚悟を持って自制しない限り、欲求が抑えられなくなる。何度断ち切ろうとしても断ち切れず、また元の木阿弥に戻ってしまうことも多々ある。いったん依存症になると、快楽を求めるあまり、仕事や人間関係など、すべてがおろそかになってしまう。(私にも経験がある。)

たかが2、3度マリファナを吸っただけで、重篤精神疾患になるぐらいなので、マリファナ覚せい剤を常用し、一年、二年と吸い続けたら廃人になる、というのは十二分に理解できる話である。

 

性犯罪に走る少年たち

 また私は女性だが、性犯罪に走る少年たちの気持ちも、分からなくないと思った。彼らは異性を人間として扱っていないうえ、女性の気持ちが分からないとのことである。実際、私自身も異性を人間としてみなしていない時期があった。だからもし自分が男だったら、暴力やレイプをしていたとしても、何らおかしくなかっただろうと思う。

彼らをかばうわけではないが、母親(異性の親)から人間扱いされずに育ったら、それは相手のことを人間と思えなくなっても仕方ないのではないか。自分の気持ちを理解してもらえないのに、相手の気持ちなんて想像できるようになるはずがないのだ。

 

被害者遺族の心の傷

 ただそうは言っても、第五章の被害者遺族の話を読んで、彼らの犯罪が決して許されるわけではないと気づかされた。被害者のために、犯人やその家族に賠償金を求めても、少額支払われただけで支払いが止まってしまったり、被害者のための活動をしていると、近所から白い目で見られたり、少年院から出てきた犯人が何も反省していなかったり、また同じような犯罪に手を染めたりしているというのが、被害者遺族の実情のようである。加害者が反省しないことで、心の傷は癒されないうえ、民事訴訟に持ち込むための高額な弁護士費用なども自腹であるなど、その心理的、物理的ダメージは図りしれないのだ。

 

「田川ふれ愛義塾」

 一度虐待に遭って犯罪に手を染めた少年たちは、ゾンビのようになってしまい、いくら少年院で更生プログラムを受けたところで、人間の心を取り戻すことは不可能なのではないか。そこまで読んで、絶望的な気持ちになってしまった。

しかしこの話には続きがある。最後の章では、「田川ふれ愛義塾」という更生施設が紹介されている。その創設者の工藤氏は、自身も元暴力団の構成員で、犯罪の経歴があるそうだ。だから少年たちの気持ちや、彼らへの接し方も、直観的に分かるとのこと。

他の更生施設での少年たちの更生率が二割程度に対し、そこでは男子八割、女子が五割程度、全体で七割程度が更生するらしい。高い更生率の秘訣は何なのか。

本書によると、そこでは工藤氏を中心として、猿の「群れ」のような子弟関係が築かれていて、少年たちは「ボス」である工藤氏に絶大の信頼を寄せるようになるのだという。当施設のスタッフは、少年たちを「信頼」し、無償の「愛情」を彼らに注ぎ、全力で彼らに「向き合う」のだそうである。それによって、彼らはその「恩に報いたい」とか、「期待に応えたい」と思うようになるのだそうだ。本にもあったが、それが適切な支援の形かどうかは別として、一種のロールモデルとは言えるだろう。

 

最後に

この本を読んで、かつて「MONSTER」という漫画があったのを思い出した。

戦後の東ドイツにあった、「511キンダーハイム」という孤児院では、「西ドイツを駆逐する優秀な戦闘員」を生産するため、孤児たちから名前や感情を奪い、闇に打ち勝つように育てるという「実験」が行われていた。

しかし彼らは逆に闇に飲みこまれてしまい、最終的に子供同士の殺戮が繰り広げられてしまう。そこで育った「ヨハン」という少年がのちに殺人鬼となる。主人公の日本人医師、「テンマ」は、ヨハンを手術で助けてしまったことをきっかけに、ヨハンの足跡を追う、というストーリーだ。

ちなみにその孤児院がその後どうなったか。孤児院の院長ペドロフが、最終的に行った「実験」では、子供を闇に食われない人間にするために必要なこと、それは彼らに「愛」を与えることだった――というオチである。

この話は、この本の結論にも、そっくりそのまま当てはまると思う。人間を人間たらしめるのは、他でもない「愛」であり、愛があって初めて人間は、他人を「信頼」し、相手や自分を「大切」にすることができるのだ。

「愛情」「信頼」を普通に成長過程で身に着けることができた人には、そのありがたみが分からないかもしれないし、犯罪者である少年たちに思いをはせることもないかもしれない。ただそれがない家庭で育った人には、それがいかに尊くて大切なものか、それがないと人間がいかに簡単に「闇」に引きずり込まれてしまうかということが分かると思う。

しかし私はどんなに心が荒み切った人でも、簡単な道のりではないとはいえ、「愛」を知ることができれば、いずれは更生できると信じたい。それがこの本に述べられている、唯一の「希望」だと思う。

 

Written by ユカ@コーヒー