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村上春樹氏とノーベル賞

村上春樹氏とノーベル賞

村上春樹氏とノーベル賞

 

概要

私はずっと長いこと、氏とノーベル賞について考えてきた。結論から言うと、このままではノーベル賞は取れそうにない。私は熱烈なファンでもないが、アンチではない。むしろノーベル賞を取れるなら取ってもらいたいと思っている。しかし現段階では難しいであろう。

 カズオイシグロ村上春樹の違い

以前、ユーチューブで、カズオイシグロ村上春樹の違いという動画を見た。「イシグロ氏は社会的テーマを扱っているが、村上氏の小説にはそれが見受けられない」という論調だったが、私はそのテーマについて、もう少し自分なりに掘り下げてみることにした。

 イシグロ氏がどんな人物なのかを知るために、氏のノーベル賞受賞式でのコメントが全文掲載してある本を読んだ。一番印象的だったのは、イシグロ氏の影響を受けた音楽に対するエピソードだった。イシグロ氏はトム・ウェイツなどから影響を受けたそうだが、彼の声や歌唱法に強くインスパイアされ、自身の小説にもその影響が反映されているそうである。他にも、ボブ・ディランニール・ヤングなどから影響を受けたそうだが、そこには音楽家に対しての深いリスペクトがあると感じた。

 一方の春樹氏はというと、音楽に対する知識や愛着などはあるのだが、何より感じるのは、それらを深く鑑賞することができ、目利きである「自分自身」である。イシグロ氏の他者に対する敬愛に対し、春樹氏の自己愛、それが一番の違いだと思った。

 

騎士団長殺し」を読んで

社会的テーマ」に関しては、本作で取り組んでいるように見えるが、どうもそのテーマが上滑りしている。そこに書かれている事実の信ぴょう性だけが問題なのではないと思う。作者がそれを取り上げ、読者に何をどう訴えようとしているのか、それが問題なのである。確かに南京大虐殺ホロコーストは重いテーマである。ただそうしたものに対する、「憎しみ」以上のものが伝わってこない。そのテーマを掘り下げた動機があまりにも軽い。作者のルサンチマンのはけ口としてそういったものを利用しているのにすぎないといった印象を拭えなかった。

 彼の小説には、総じて「」の要素がたりないと思う。「自己愛」、それはおおいに感じるが、「人類愛」、「世界への愛」、そして自己や他者に対する愛がたりない(全くないとは言わないが)。そのテーマを克服せずに、表面的にどれだけ社会的テーマを盛りこんだところで、多くの読者を納得させることはできないのではないか。かりに著者が真剣にノーベル賞を目指すなら(目指さなくても)、ぜひ全身全霊をかけて、このテーマに取り組んでほしいところである。

 

春樹氏と日本、そして日本人であることについて

また春樹氏はおそらく、日本人や日本人の国民性を嫌悪している。それは自分の中にある日本人性もそうだし、日本人一般の国民性のこともそうである。それだから最近の春樹氏の小説の中には、意図的に「日本らしいもの」が出てこない。それがリアリティーの欠如を生んでいるように見えるし、一部のアンチの嫌悪感を生む原因だと思う。

 たぶん本人の趣味が高尚なのは、一般的な日本人が好むものに、嫌悪感を感じているためだ。その趣向が、最近の「日本ブーム」と逆行している。

 

だったらどうするべきか

ただ別に私は春樹氏に、日本を好きになってほしい、といっているわけではない。(私だって、100%好きではない。)ただ逆に日本が嫌いな人も、一定数いると思うし、皆、日本には多少なりとも住みにくさ、暮らしにくさを感じているはずだ。その証拠に、日本の幸福度ランキングは、世界でも最下位に近い。

そこで小説家なら、自分がなぜ日本が嫌いか、その理由をもっと掘り下げて、その嫌悪感を共感のレベルまで落とし込むべきではないのか。(もし私が一流の小説家ならばそうするだろう。)

 最近の彼の小説は、あまりにも自分の中で自己完結していて、まったく世相を反映していないし、ずいぶん独りよがりに見える。もっと世の中の人が何を考えているのか、知るべきだと思うし、そこから他人に共感できる要素を探すべきだ。あまり自分だけが、特別な人間で、孤独で、崇高だと思わないほうがいいそれは天才ではなく、単なる凡人の発想にすぎない。

 

もっと日本らしさを小説に盛り込むべき

 そして著者が日本らしさを小説に表現したら、それは自分の小説ではなくなってしまうと感じているとすれば、「あなたの持っている個性はその程度ですか」と問いたい。一流のシェフは、どんな食材も自分の味にしあげるように、一流の小説家なら、どんな設定も自分の小説にできるはずだ。私はそれを期待している。

もし著者がこの意見をスルーするようであれば、ノーベル賞が取れないばかりか、小説家としても、二流、三流に成り下がるだろう。私は本当にそうなってほしくはない。

 

Written by ユカ@コーヒー