サミュエル・ベケット「名づけられないもの」を読んだ
安易な解釈を拒む前衛小説
前衛音楽を彷彿とさせる
禅問答のような問いかけを繰り返しながら、 行きつ戻りつし、物語(の様相を呈しているとは言いがたいが)が進んでいく。
それ自体に深い意味を見出すことはできなかったのだが、 例えると、オウテカなどの前衛音楽というか、ポストロックや実験音楽を聴いているのに近い感覚。
(彼らの音楽も、もしかしてこういう本にインスパイアされているのかもしれない)。
読んでいてすごいテンションが上がるとか、途中にクライマックスがあるわけではない。
坦々としているが、独特の緊張感をはらんだ文体が印象的だ。
訳者のあとがき
訳者のあとがきは、この本の理解を深めるのに、とても役に立った。
作者は画家のセザンヌを高く評価しているとのこと。
「生気論のかけらもよせつけない原子からなる風景」、
「風景は定義上異質で、近寄りがたく理解不能な原子の配列」
とセザンヌのことを評しているそうだが、
その評は、そっくりそのまま、この本の文章の特徴のようでもある。
原子の配列のようにミニマルであり、生気がなく、一切の解釈を拒むような、しかし無数の解釈ができると言ったような。
この本が芸術家や作家などに与えた影響が、どれほどなのかはわからない。
しかし芸術に従事している人なら、何らかの感銘を受けるだろうし、 決して無視できない存在感と個性がある。
(でも残念ながら、感性の普通の一般の人たちは無視するかもしれない)。
読んでもよいし、読まなくてもよい
冒頭の文章で、作家の中原昌也氏が、
「読んでもよいし、床に置きっぱなしで読まなくてもよい」
というようなことを書いていた。
ただ私はこの本を読んで、本棚に飾るだけで、自分が偉くなったような錯覚に 陥るようなことはしたくないと思った。
この手の本に対して、よくありがちなのは、 論理でなく、感覚・抽象でしか意味を理解していないのに、 本の内容を判った気になるといった、 スノビズムとナルシズム丸出しの、ひとりよがりな感想文、解説文。
私はそんなことは書きたくないし、分からないのに、分かったフリはしたくない。
私が唯一分かったのは
作者はおそらく病的な神経質で、物事を突き詰めて考える性格であり、 精神が破綻しているであろう、ということくらい。
(実際、鬱病で精神分析を受けたとプロフィールにも書いてあった。)
おそらく哲学の知識などに詳しければ、この手の本をもっと深く理解できたのかもしれない。
しかし残念ながら、素人の私にはそれ以上のことは分からなかった。
三森ゆりか氏が提唱するような、論理的な本の読み方を身につけているわけではなく、
ましてや西洋の哲学・文学・芸術などのバックボーンを知らない 日本の読者には、おそらく理解するのは難しい内容だと思う。
しかし一つの読書体験として、また読んだことのないものを読んで、 自身の見聞を広めるためにはうってつけかもしれない。
Written by ユカ@コーヒー